ラ ヴ ェ ル の 生 涯



少しずつやります。気長に待ってね


第 一 章


1 - 1.ラヴェルの家庭,幼少期


父ピエールの写真ラヴェルの母フランス近代音楽の歴史にその名を残す大作曲家,モーリス=ジョセフ・ラヴェルが生まれたのは,1875年3月7日。サン・ジャン・ド・リューズとスペインの国境とに挟まれた低地ピレネー地方の小さな港町,シブール(Ciboure)である1)。彼は父方からスイスの血を,母方からはバスク人の血を,それぞれ受け継いだ混血であった。

彼の父ピエール・ジョセフ(Pierre-Joseph Ravel:1832-1908)は,1832年ジェネヴァ近郊の町ヴェルソワ(Versoix)生まれ。父方の家系はもともとスイス国境近くのフランスの町オート=サヴォワイェ郡コロンジュ=スー=ザレーヴ(Collonges-sous-Salève, Haute-Savoie)に起源を持つ。のちの自動車へ繋がる内燃機関の開発者でもあった父ピエールは,高名なエンジニアであり,発明家である2)。ラヴェルという名前であるが,どうやら時代によって綴りが変化していたようだ
3)。いっぽう母のマリー・デリュアール(Marie Delouart:1840-1917)は,デルアルテ(Deluarte)という姓が変化した名字が示すとおり,スペイン系バスク人の血を引いていた。
1879年(4才)のラヴェル
1873年,42才のピエールは,スペイン政府の要請で,鉄道建設のためアランフェス地方へ赴任した。2人が出逢ったのはこの時である。ロドリーゴの名曲でも知られるアランフェス宮殿の庭で,二人は逢瀬を重ね,愛を語らった。出逢った翌年に,二人はめでたく結婚。シブールへと移って新居を構えたのであった。ラヴェルは,彼らの最初の子どもである。ラヴェルが誕生して三ヶ月後,一家はパリへと移り,モンマルトルの丘のふもとに位置する殉教者通り40番地(40 Rue des Martyrs)へ新居を構えた。3年後には弟のエドゥアールも生まれている。

弟(右)と,12才頃。悪そうなガキやな〜(笑)幼少期のラヴェルは,小柄で繊細であった。母が子守歌代わりに話す,郷里での若き日々の事柄や,周囲の人々の様子,民話やお伽噺を,何時間もじっと聞いているような子どもであったという。一家はパリへ移り住んでからも,余裕のあるときは常々,故郷のある南方への夏旅行を欠かさなかった。ラヴェルは,村人が中央広場でファンタンゴを歌い踊るシブールの村祭りを,ことさら楽しみにしていたという。こうした幼少期の経験が,のちのラヴェルの作風に少なからず影響していることは明らかであろう(スペイン狂詩曲解説を参照)。

パリで始まった一家の生活は,決して楽なものではなかった。父は発明を続けるため,常にお金を必要としており,狭苦しい殉教者通りに面した彼らの部屋は,生活に最低限必要な分だけの設備しかない粗末なアパートであった。そのような生活を支えていたのは,家族愛に他ならなかった。「いつか,凄い器械を発明して,家族みんなを金持ちにしてみせる」と口癖のように言うジョセフを,贅沢に執着することなく,家族と友達に囲まれた平和な日々を何よりも重んじた妻マリーの,慎ましく献身的な愛情が支えていた。彼自身の兄も画家であったことが示すとおり,父ピエールは,もともとピアノ演奏家を目指し,数年間に渡ってジュネーヴ音楽院で学んで,ピアノ科で入賞するほどの腕前であった。音楽への関心も並々ならぬものがあったようである。幼いラヴェルはまず,その才能を見込んだ父に勧められ,音楽への第一歩を踏み出すことになる。
1 - 1. 注 記
1) 彼の生地についてはサン・ジャン・ド・リューズ(Saint-Jean-de-Luz)とするものと,シブールとするものがあり,紛らわしい。Orenstein(1991)によれば,シブールはサン・ジャン・ド・リューズ市街と同じ湾を挟んだ向かい側にある小さな村である。Roland-Manuel(1947)によれば,ラヴェルの生家は「海岸通り(Rue du Quai)12番地にあり,その通りがシブールとサン・ジャン・ド・リューズを隔てていた」。Goss(1940)に,ラヴェルは「サン・ジャン・ド・リューズに面した(facing)イタリア様式の家で生まれた」とあることから,厳密にはシブール生まれといえよう。当初,ジョセフは結婚式の後,すぐさまパリへ移ることを考えていた。しかし,このとき自らの妊娠を知った妻が,気候の温暖な郷里での出産を望んだことから,ラヴェルが生まれるまで現地にとどまることとなった。なお,上述の海岸通りはのちに,モリス・ラヴェル海岸通り(Quai maurice Ravel)へ改名している。
2) 彼の発明についてはMyers(1960)に詳しい。彼はこの発明【有機油を燃料とする蒸気機関をとりつけた列車(Générateur à Vapeur Chauffé par les Huiles Minérales Applique à la Locomotion)】により,1868年9月2日付けで特許を取得している(特許番号はNo. 82263 J.R.)。同じ年,彼は自動車にもこの内燃機関を取り付け,革命通りからドニ通りまで二時間掛けて往復する走行試験を実施。平均時速約6キロで走る彼の車を,二名の警察官が徒歩で警護にあたったという。
ちなみに,一部の解説書にピエールが「とんぼ返りする車」を発明したと記述されているとの情報を頂いたので補足する。これは単なる早とちり。1904年に,この車を題材にした音楽【死の渦(Tourbillon de la mort)】がパリ・カジノで上演された際,ピエールも鑑賞に出かけており,このときの音楽の内容が「とんぼ返りする車」であったとの記述を,訳者ないし解説者が読み誤ったものと思われる。
3) 祖父のエイメ(Aimé-François)はピエールに洗礼を施したとき,自身の姓をラヴェ(Ravex)と綴っていた。しかし4年後に彼が亡くなった際にはラヴェ(Ravet)へと変わっている。この他,ラヴェ(Ravez)とも綴っていたこともあったようである(Goss 1940, Myers 1960)。
1 - 2.パリ音楽院へ


ラヴェルが最初に正規のピアノの稽古を受けたのは,彼が6才の時であった。最初の彼の師匠はアンリ・ギス(Henry Ghys)である1)。6年後の12才の時,ラヴェルは和声法をシャルル・ルネ(Charles René)へ師事するようになった。ルネはドリーブの弟子でもある。そして1889年に,ラヴェルはパリ音楽院の門を叩き,まずアントワーヌ・フランソワ・マルモンテルのソルフェージュ科へ進んだ。
1 - 2. 注 記
1) 「聡明な子どものようだ」とラヴェルについて記述した,アンリ・ギスの日記が残されている。
2)
(2005. 4. 4. USW project begin date)




2.工事中
典 拠 (整理中)

ロジャー・ニコルズ・渋谷和邦. 1987. 「ラヴェル−生涯と作品」泰流社, 278頁。
De La Montagne, D.H. -2005. 1861. (http://www.musimem.com/prix-rome-1860-1869.htm).
Gauthier, A. 1952. Debussy: documents icconographiques. Genève: Pierre Cailler.
Goss, M. 1940. Bolero: the life of Maurice Ravel. New York. Tudor Publishing Company.
James, B. 1983. Ravel his life and times. Dent, UK: Midas Books.
Larner, G. 1996. 20th-century composers: Maurice Ravel. Phaidon Press. 240p.
Myers, R.H. 1960. Ravel: life and works. Gerald Duckworth &Company.
Nichols, R. 1987. Ravel Remembered. W.W. Norton.
Orenstein, A. 1975/1991. Ravel: Man and Musician. Dover Publications. 293p.
Orenstein, A. 1990/2003. A Ravel Reader : Correspondence, Articles, Interviews. NY: Columbia University Press.
Oxford University Press ed. 2004. New grove online. (http://www.grovemusic.com).
Petit, P. 1970. Ravel. Classiques Hachette.
Roland-Manuel, A. (Jolly, C. trans.) 1947. Maurice Ravel. Kingsway-London: Dennis Dobson. {Roland-Manuel, A. 1938. Ravel. Nouvelle Revue Critique.}
Sadie, S. and Tyrrell, J. eds. 2001. The new grove dictionary of music and musicians: 2nd ed. London: Oxford Univ.Press.
Sadie, S. ed. 1992. The new grove dictionary of opera. London: Oxford Univ.Press.
Seroff, V.I. 1953. Maurice Ravel. NY: Henry Holt &Company.
今日もどこかでラヴェルのことを知り,情報を探しては「足りない」「少ない」と嘆く
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