亡き王女へのパヴァーヌ
Pavane pour une Infante Défunte



「最初に私が省察することになるのが,自分の書いた『パヴァーヌ』とは,運命の皮肉だろうか。
それでも,作曲家としての目線ではなく批評家の目線でこの曲を見られるだけ,
古い作品となった今では,この曲について論じるに些かの迷いも感じない。
悲しいかな!私にはこの曲の持つ至らなさが手に取るように見えてしまう。
シャブリエの顕著な影響と,貧弱な曲形式。
思うに,この不完全かつ冒険心のない曲が成功を収めたのは,
演奏家の卓越した曲解釈が大きく寄与していたからではないか」


ルビュ・ミュジカールに寄せた小論「ラムルー管弦楽団の演奏会」より
(8巻2号,62-63頁:1912年2月15日)




概説 :

初期ラヴェルの代表作のひとつ。パリ音楽院在学中に書かれる。
1898年,ラヴェルはフォレの作曲法クラスへ進んだ。この当時,フォレは自らの生徒を連れ,しばしばサン=マルソー夫人(Madame de Saint-Marceaux)宅で毎週金曜日に開かれるサロンへ訪れていた。また,この当時ラヴェルは,エドモン・ド・ポリニャック公夫人(Princesse de Edmond de Polignac)のサロンへも出入りし,イザドラ・ダンカン(米俳優)やアンドレ・ボニエ(詩人)らと交流している。彼女たちは当時の社交界の花形であるとともに芸術の保護者(パトロン)であり,サロンは芸術家の交流の場でもあった。ここでポリニャック夫人に委託されたのが,この作品を生み出すきっかけとなった。事実,大変典雅でサロン音楽風の香りをもったこの作品は,有識者間での冷ややかな扱い*にも拘わらず,こんにちでも広く愛され続けている。

1899年に作曲され,1910年に管弦楽配置。「パヴァーヌ」は16世紀初頭に流行したスペイン起源の宮廷舞曲であり,「王女(infante)」はスペイン語の infanta に由来するところから,スペイン皇女を指すのではないかとされるが,誰を指すのかは不明。一説ではルーヴル美術館蔵のベラスケス(Diego Velázquez:1599-1660)の絵画に描かれたスペイン皇女ではないかともされる
**

しかし実際には,ラヴェル自身はこの標題を暗示的に用いただけのようで,後に「あの王女とは誰なのか」という質問に随分と悩まされたという。ラヴェル自身はこの作品を余り気に入ってはいなかったようで,後年 “シャブリエの影響が顕著で,形式上も貧弱な作品” と述べている。ただし,のちに管弦楽配置を行ったばかりでなく,1922年にはピアノ=ロール録音まで残しているところを見ても,多少なりとも愛着はあったのではないだろうか。サロンでは熱烈に歓迎され,ラヴェルを少なからず驚かせたという。

献呈者はポリニャック夫人。ピアノ譜,管弦楽譜とも自筆譜は所在不明。



マルガリータ王女像(1660年)
マドリード・プラド美術館


女官たち(1656年)
マドリード・プラド美術館
注 記

* 例えばOrenstein (1990) p. 37.

**ベラスケスはフェリペ4世の財政援助を受け,マルガリータ王女を幼い頃から描き続けた宮廷画家。ゆえに,ここでのスペイン皇女はマルガリータ王女のことと思われる。右2点はその代表作。

** 1977年になって,ラヴェルがデュラン宛の書簡(1923年9月8日)で触れていたバレエ音楽『皇女の肖像(Portrait de l'infante)』がパリで発見されている(全25頁:個人蔵)。この作品はオペラ=コミークのソニア・パヴロフ(Sonia Pavlov)が委託した,アンリ・マルアーブ台本のバレエ音楽で,ラヴェルに時間がとれそうにない場合は,「亡き王女のへのパヴァーヌ」に着想したというコンセプトのもと,過去に書いた数曲のスペイン風の作品から転用しても良いから,という条件であった。ラヴェルは同書簡中で,「パヴァーヌ」と「道化師の朝の歌」を折衷した作品を構想している。


Reference
ニコルス, R. 渋谷訳. 1987. 「ラヴェル−その生涯と作品」泰流社 (p. 82).
Larner, G. 1996. Maurice Ravel. London: Phaidon.

Orenstein, A. 2003 (1990). A Ravel reader: correspondence, articles, interviews. New York: Dover Publications, p. 246.
Orenstein, A. 1991 (1975). Ravel: man and musician. New York: Dover Publications, pp. 21-22 / p. 222.




作曲・出版年 ■作曲:1899年
■ピアノ譜:出版は1900年(ドゥメ社,エシーグ社),管弦楽:出版は1910年(ドゥメ社,エシーグ社)
編成 ■ピアノ独奏
■小管弦楽配置版(金管・打楽器抜き):フルート2,オーボエ,クラリネット(第2クラリネットは変ロ),バスーン2,ホルン2(第2ホルンはト調),ハープ,弦5部
演奏時間 約 6分30秒
初演 ■ピアノ独奏版: 1902年 4月 5日,プレイエル・ホール(国民音楽協会音楽会)。リカルド・ヴィーニェス(ピアノ)
■小管弦楽版:  1911年2月27日,ヘンリー・ウッド(指揮),紳士のための演奏会(イギリス,マンチェスター)
1910年12月25日 アッセルマン演奏会 (Concerts-Hasselmans) アルフレッド・カゼッラ Alfred Casella(指揮)を初演に挙げている書籍が少なからずあるようですが,これは誤り。実際は1911年12月25日まで延期されたため,英国初演が世界初演になります(see Larner 1996, p.224)。
推薦盤
(評点は「パヴァーヌ」一曲のものです)

★★★★★
"ORCHESTRAL MUSIC :
Boléro / Ma Mère l'Oye / LaValse / Pavane pour une Infante Défunte / Rhapsodie Espagnole / Valses Nobles et Sentimentales / Menuet Antique / Daphnis et Chloé : suite No. 2"
(Philips : 438 745-2)

Bernard Haitink (cond) Royal Concertgebouw Orchestra
実直型指揮者,ハイティンクのラヴェル。彼は長年オランダのコンセルトヘボウ管で指揮を執り,多くの録音を残しますが,それらがお手軽に手に入りすぎるからか,それとも実直なのが目立たないのか過小評価気味。勿体ない!古今東西様々な「パヴァーヌ」あれど,この盤ほど弦楽パートが芳醇かつ端正で,とろけるように薫り高く鳴った演奏は,後にも先にもありません。ハープが些か小さく録音されている以外には全く非の打ち所のない,まさしく至高の逸品です(演奏時間 6:47)。

★★★★★
"Intégrale de l'oeuvre pour Piano Vol. 1 :
Miroirs / Pavane pour une Infante Défunte / Menuet sur le Nom de Haydn / Ma Mère l'Oye*"
(Adès : 203912)

Jacques Fevrier (p) Gabriel Tacchino (p)*
名ピアニスト,フェヴリエ(1900-1979)は,パリ音楽院でラヴェルと同級生だったアンリ・フェブリエの息子で,リカルド・ヴィニェス,マルグリット・ロンの弟子。ラヴェルとも親しい付き合いがあった,まさに生き証人。晩年に残したこの全集,既にテクニックは見る影もありませんが,遅い曲でのゴツゴツした質感溢れる表現力が秀抜。ともすればリズムに負け,平坦になりがちなこの曲を巧みなテクスチャで描き分けるその表現力にはただただ脱帽です。ピアノ版では文句なしの最高峰(演奏時間 6:12)。

★★★★☆
"La Mer / Prélude à l' après-midi d'un faune (Debussy) / Pavane pour une Infante Défunte / Ma Mère l'Oye" (Sony : SK 66832)
Carlo Maria Giulini (cond) Royal Concertgebouw Orchestra
ジュリーニは近年,老成してから素晴らしい指揮をするようになりました。ドビュッシーとラヴェルの作品を演奏したこの選集は,そんな近年のジュリーニが,円熟の枯れた味わいを遺憾なく注ぎ込んだ秀作。モントゥの晩年の録音同様,弦の芳醇な響きなど溢れ出すような若さ,明るさはないものの,隅々にまで丁寧な推敲が行き届いた労作といえましょう。ハイティンク盤の溢れるような芳醇さに対し,こちらは遅めのテンポ,消え入りそうな弱音で,古老の昔語りのようなしみじみとした味わいが胸に迫り,思わず引き込まれる演奏です。ハイティンク盤よりハープが良く鳴っています(演奏時間 7:48)。

★★★★☆
"Artistes Répertoires - Munch :
"Daphnis et Chloé / Pavane pour une Infante Défunte / Boléro / Rhapsodie Espagnole / La Valse / Ma Mère l'oye (Ravel) : L'apprenti Sorcier (Dukas)"
(BMG : 74321 846 042 LC 00316)

Charles Munch (cond) Boston Symphony Orchestra : New England Conservatory & Alumni Chorus
今世紀前半のフランスを代表する指揮者シャルル・ミュンシュとボストン響による,ラヴェルの管弦楽作品集。ミュンシュのドビュッシーやラヴェルは,どれも速めのテンポが多く,普通なら表現ががさつになってしまうところ。しかし彼の盤はどれも抑揚豊かで匂い立つような暖かい香気があります。古き良きフランスの,という枕詞の似合う,艶のある演奏です(演奏時間 5:36)。

★★★★
Maurice Ravel "Pavane pour une Infante Défunte / Jeux d'eau / Rapsodie Espagnole / Alborada del Gracioso / Ma Mère l'oye / Gaspard de la Nuit -Scarbo / Daphnis et Chloé No.2 / Quatuor / La Valse / Piano Concerto / Boléro" (Accord : 461 735-2)
Manuel Rosenthal, Pierre Dervaux (cond) Jean Doyen, Jacques Février, Gabriel Tacchino, Pierre Sancan (piano) Orchestre du Théâtre National de l'opera de Paris : Orchestre du Südwestfunk de Baden-Baden : Choeur de la RTF : Quatuor Champeil
フランス音楽の好き伝統を今日に伝えるレーベルの一つアコールから,凄いCDが出ました。何のことはないラヴェルの作品集なのですが,演奏陣が珍しい。『ピアノ協奏曲』はピエール・サンカンのピアノにデルヴォーの指揮。さらにはジャン・ドワイヨンのピアノによる『水の戯れ』に,ロサンタール指揮の『亡き王女へのパヴァーヌ』と,豪華な演奏陣でしかも珍品揃いです。この当時ロサンタールはパリ・オペラ座歌劇場管弦楽団を率いており,同じ顔触れでドビュッシーの録音もあります。ミュンシュ同様,古き良きフランスの香り漂う瀟洒で甘美な演奏。古い録音なので,現代のものほどオケの音が揃ってはおらず(好く言えば奔放な演奏で)少し表情が硬いところもありますが,古き良きエスプリ漂う面目躍如の好演と申せましょう(演奏時間 6:15)。

★★★★
"Piano Concerto / Concerto for the Left Hand / Pavane pour une Infante Défunte / Jeux d'eau / La Valse*" (EMI : 7243 5 74749 2 4)
Lorin Maazel (cond) Jean-Philippe Collard, Michel Béroff* (p) Orchestre National de France
ベロフとのデュオでドビュッシーの連弾も残しており,フォーレの弾き手としても知られているロン=ティボー国際覇者,ジャン=フィリップ・コラールによるラヴェルの作品集です。コラールのラヴェル全集は見かけた記憶がありませんが,勿体ない!特に独奏の『水の戯れ』の出来映えは出色で,テンポを変えず,作者の指示に忠実な解釈のものとしてはトップ・クラスの出来だと思います。彼の『パヴァーヌ』はさらりとした打鍵が現代のピアノ弾きらしさを醸し出す演奏。フェヴリエらに比べると陰影の深さでは遠く及びませんが,すらりと背の高いハンサムな好青年がふと見せる,アンニュイな佇まいそのままのロマンティックな感傷性を持った好演ではないかと思います(つまりは女性受けしそうな演奏です)。ちなみに『ラ・ヴァルス』で共演のベロフ。日本では凄く人気なんだけど,分からんなァ。彼のピアノはクリアかも知れんけど,音は汚いし,ガサツ過ぎやしませんかねえ?それとも,そういう演奏のほうが,クラシック専科でドイツ好きのファンにはアナリゼしやすく,印象派が分かったような気になるから都合が良いんでしょうか?ベロフの全集があるくらいなんですから,ぜひコラール氏のラヴェル全集とか,ドビュッシー全集も出して欲しいです(演奏時間 6:19)。

★★★★
Maurice Ravel "The Complete Piano Music" (Hyperion : CDA67341/2)
Angela Hewitt (piano)
ソリストはオタワ音楽院でジャン=ポール・セヴィラに師事し,1985年のトロント・バッハ国際で優勝して一躍脚光を浴びた新鋭。バロック出身らしく作品の音符構造を忠実に踏まえた,極めて見通しの良い平明な曲解釈は,一歩間違うと皮相的な演奏に陥る危険と隣り合わせですが,彼女の最大の美点は,徹底した譜面の読み込みにより,北米大陸出身者である自らの生得的な平明さを巧みにカバーしている点に尽きるでしょう。これは同じく透徹した作品の読み込みによって支えられたフセイン・セルメのラヴェルや,実直な曲解釈と人柄の滲むデリカシーに満ちた打鍵で印象を残すマルティノ・ティリモに通じる,極めてプロ意識の強い演奏だと思います。磨かれた技量を持つプロの演奏家が丹精込めた,緻密な鍛造の行き届いているラヴェルであり,その点で「負けない横綱」タイプの極めて現代的なラヴェルです。加えてこの盤録音が良い。セルメのラヴェルは,ホールの残響があまりに大きく,ピアノの響音をべた塗りにしてしまった点がありましたので,ライヴながら音に締まりがあり,適度に高域の抜けたクリアーな録音に快哉を叫びました。彼女のパヴァーヌは時間こそ遅めですが,イン・テンポ部分は速め。控えめなペダルでさらりと弾いており,極めて今風の演奏。表現の深みや面白みよりも,中庸を得た安心できる演奏というなら,好いかも知れません(演奏時間 7:04)。

(upload 2001. 2. 23 / Revised: 2005. 2. 22 USW)







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