海 −3つの交響的素描−
La Mer - trois esquisses symphoniques

『ペレアス』の場合と同じように,『海』でも,ドビュッシーは海に対して抱いている情熱のすべてを
音楽の中に注ぎ込んでいます。というのも,海というものを,そのなかに自然と人間の
あらゆる側面が凝縮されている,抗いがたい原初の母性の力として,象徴的な観点から解釈しているからです。


クラウディオ・アバド
曲目 :
@ 海の夜明けから真昼まで(De l'aube à midi sur la mer)
A 波の戯れ(Jeux de vagues)
B 風と海との対話(Dialogue de vent et de la mer)

 (全3曲)


概説 :

『牧神の午後への前奏曲』から『夜想曲』を経て,ドビュッシーが,いわゆる【印象主義】と呼ばれる語法を完成させたとされる作品。
ブルターニュの作曲家ポール・ル・フレムやジャン・クラース,或いはアルベール・ルーセルなど,海と関わりの深い作曲家はフランス近代にとりわけ多い。作曲家でなければ船乗りになりたいと考えていたほど,海を愛したドビュッシーもその一人である。彼はこの作品の作曲直前(1902年),メアリー・ガーデンとともに英国訪問を行ってこそいるものの,本格的な航海に出た経験はむしろ乏しいほうであった。このため,この曲の楽譜がデュラン社から出版されるにあたって,ドビュッシーが表装の図柄に北斎のモチーフを使うように求めていた(図1)ことなどを根拠とし,葛飾北斎『富岳三十六景〜神奈川沖浪裏』(図2)に霊感を得たのが作曲の経緯とする説は多い。この曲の音盤で,しばしば北斎の図柄を表装に用いるのは,こうした経緯が背景にある*。当初ドビュッシーは,「サンギネール諸島の美しい海」(Mer belle aux îles Sanguinaires)**,「波の戯れ」(Jeux de vagues),「風は海を踊らせる」(Le vent fait danser la mer)の3曲からなる交響的素描を構想していた(メサージェ宛書簡,1902年9月12日)。しかし,推敲の過程で2楽章を除いて曲名は変更され,現在の形になった。
ぼく北斎
図2
初版の楽譜デザイン
図1

2度目の妻エンマ
Emma Bardac


最初の妻リリーと
(1902年頃)
ところで,この作品が書き進められていた1903年から1905年に掛けて,ドビュッシーは私生活面で大きな転機を迎えていた。1902年4月に『ペレアスとメリザンド』の初演で大きな成功を収めた彼は,1903年初頭に日刊紙【ジル・ブラ】の専属批評家となる。しかし,最大の転機は1903年にエンマ・バルダックと出逢い,翌年6月には最初の妻リリーのもとを離れて同棲生活に入ったことであろう。エンマが著名な銀行家の妻であったことから2人の恋はスキャンダルとなり,やがてリリーが拳銃自殺を図るに及んで,ドビュッシーは世間の批判の矢面に立たされることになった***。『海』が作曲されたのは,この時期にあたる。初演は1905年,ラムルー管弦楽団の定期演奏会において行われた。しかし,作曲者の私生活や,これまでの作曲法を大きく踏み越えた斬新な曲想から,この作品はすぐには受け入れられず,リハーサルの際には楽団員からあからさまな拒否の態度を示され,初演は賛否を真っ二つに分けるものとなった。この曲が名曲として受け入れられるようになったのは,初演から3年後の1908年1月に,作曲者が自身でも初めての指揮棒を執り,2度に渡ってパリで演奏を行ってからのことである。

曲は,『ペレアスとメリザンド』でいち早くドビュッシーの才能を認め,年間12000フランで彼と契約を交わして,将来に渡ってドビュッシーに安定した経済的地位を与えたジャック・デュランへ捧げられた。自筆譜は国立図書館およびイーストマン音楽大学ロチェスター校所蔵。



注 記


* ただしこの他に,ドビュッシーがウィリアム・ターナー(J.M. William Turner:1775-1851)の絵画を見たことに動機を求める見解もある。ターナーは英国ロマン派の風景画家。曖昧な輪郭線を用いた作風で,ときに印象主義の先駆ともされる。図3はそうした特徴の良く出た作品のひとつ「奴隷船(Slavers throwing overboard the dead and dying - typhon coming on)」(油彩,1840年,ロンドン美術館蔵)。

** カミーユ・モクレール(Camille Mauclair)の「サンギネールの島々」(îles Sanguinaires, 1893年公刊)に着想か。サンギネール諸島は,コルシカ島の地中海側,アジャッキオの沖合にある小さい島々。サンギネール(「血みどろな」の意)と「美しい」の組み合わせによる語感を,愉しませようとの意図があるのかも知れない。

*** 彼がなぜこのような行動をとったのかについては,彼自身の口からはあまり語られていない。このため,バルダック夫人とのスキャンダルについては憶測で判断せざるをえず,擁護的ないしは批判的な立場のいずれかに立ってものを言いがちになるとLockspeiser(1972)は諫めている。例えば,1905年1月3日付フィガロ誌が報道した「リリー再び自殺を謀る」は,悪意ある誤報であった。
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図3


Reference

Accessed 2005. 2. 15 (2002). クラウディオ・アバド資料館(http://www.ne.jp/asahi/claudio/abbado/archive/corrieredellasera_2002.html)
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill.






作曲・出版年 ■1903年〜1905年3月5日(午後5時完成)※ただし,イーストマン音楽学校にある2つめの自筆譜によると6時
(終章の最後部を若干,8月に改訂)
■管弦楽配置は同年10月15日,パリ。
編成
管部 {2fl, piccolo, 2ob, e-hrn, 2cl, 3bssn, contrafagott, 4hrn, 3tp, 2cor, 3tb, tba)}
打楽器 {3timp, ds, triangle, tymbal, tam, glockenspiel (celesta)}
弦部 {2hrp,strings (5 parts: 1st-vln, 2nd-vln, vla, vc, b)}
演奏時間 約8分(海の夜明けから真昼まで),約6分30秒(波の戯れ),約8分(風と海との対話)
初演 カミーユ・シュヴィヤール(指揮) ラムルー管弦楽団(1905年10月15日) 於コンセール・ラムルー
※作曲者自身による初演(1908年1月19日,26日)於パリ(演奏はコロンヌ管弦楽団か?)。
推薦盤

★★★★☆
"La Mer / Jeux / Le Martyre de Saint Sebastian / Prélude à l'Après-midi d'un Faune" (London : POCL-5023)
Charles Dutoit (cond) Orchestre Symphonique de Montréal
2002年に,長いこと蜜月関係を続けてきたモントリオール交響楽団とお別れしたらしいシャルル・デュトワさん。その後ぱっとした録音をあまり見かけない気がするのですが,大丈夫でしょうか。本盤は,1980年代後半に,ラヴェルの連続録音に続いて彼が進めたドビュッシー連続録音の一枚だったもの。シリーズ中最も高い評価を受け,レコード・アカデミー賞を受賞しました。デュトワという指揮者は,モントリオールの美しく甘美な弦を最大限活用しつつ,大袈裟に曲を飾るタイプで,指揮者としての美学はいわばクリヴィヌの兄貴分。譜面から読みとった曲の美意識や構成と,彼の思惑が一致したときは,極めて幸福な瞬間が訪れる反面,齟齬が生じたときは,とんちんかんな録音になることも結構ありました。アカデミー賞を獲ったアルバムにケチを付けるのは勇気がいりますけど,本盤でいえば『牧神』がその典型。無用に飾りすぎの揺らし過ぎ。空々しいの一語に尽きます。牧神が頓珍漢とすると,さしずめ上手く噛み合った代表が『海』でしょう。彼の得意とする滑らかなテンポ揺らしと甘美な弦統制が,頭でっかちに陥ることなく海の艶めかしいうねりを巧みに再現前。細かいところで微妙に精度の狂いが生じてきてはいるものの,まだまだ世界水準と言って良いオケの力量も相俟って,極めてバランスの良く取れた演奏だと思います。

★★★★☆
"La Mer / Nocturnes / Prélude à l'Après-midi d'un Faune" (Denon : CO-78774)
Emmanuel Krivine (cond) Orchestre National de Lyon
1987年,前任のセルジュ・ボードからリヨン管弦楽団を引き継いだのが,まだ決して有名とは言えなかったクリヴィヌでした。彼は最近になってリヨン管と喧嘩別れしてしまったようですが,それだけ完璧主義で,このオケを締め上げたのでは。実際,彼が率いてから僅か15年ほどの間に,このオケが残した名盤の数を見れば,彼の貢献は明らかすぎるほどに明らかでしょう。1995年に満を持して登場した本盤は,彼らの手になるドビュッシー録音第一弾。まだ改造の済んでいなかったオケ団員を120%酷使。指先にまで神経の行き届いたバレリーナの如く,緊密にコントロール。緊張感満点の楽団員たちが繰り出す,伸びやかかつ即興的でいて,統率の完璧に行き届いた鳴動は,魔術的としか形容しようのないほど甘美。ドビュッシー新時代を告げるに足る衝撃的なものでした。本盤のクライマックスは,古今東西最強の第三楽章を持つ『夜想曲』の演奏で,『海』については,人によってはやや装飾過多と感じるかも知れませんけれど,それは好みの問題で済むレベル。茫洋と霞みの掛かった柔らかい集音も相俟って,響きの甘美さと陶酔感がとにかく素晴らしい。アルバムの総合点としては,これに勝るドビュッシー管弦楽作品集は存在しないと思います。ちなみに,このアルバムはその後,ジャケット違いで廉価盤化され,今じゃ1000円で買えてしまいます。やたら私が贔屓にしているので,却って胡散臭いと仰るあなたも,1000円くらいなら賭けても惜しくないんじゃございませんか?

★★★★☆
"La Mer / Nocturnes / Printemps / Rhapsodie No.1 / Prélude à l'Après-midi d'un Faune / Jeux / Images / Danses" (CBS : SM2K 68 327)
Pierre Boulez (cond) New Philharmonia Orchestra: Cleveland Orchestra
ゲンダイオンガクの世界で,理論家,作曲家,そして指揮者のどれでも成功した大御所ブレーズには,グラモフォンに移籍後の晩年と,才気走った中年期に,二度のドビュッシー録音があります。彼のドビュッシーといえば,圧倒的に知名度が高く,評価もされているのはグラモフォンのほうですが,ラヴェルはともかくドビュッシーに関しては,圧倒的にこの一度目の録音の水準が高いと思うのは私だけでしょうか。確かに,1960年代後半の録音なので,現代のオーケストラに比べると,ほんの少しばかりピッチが不揃いで,ざらっとした耳障りや居住まいの悪さを感じることもあるにはあります。しかし,譜面を細部まで読み込み,一切曲に酔った様子もなしに,ドビュッシーのあの香気を理路整然と音に置き換えていく冷徹な指揮ぶりと,蛇に睨まれた蛙の如く緊張しながら音を並べていくオケの緊張感の素晴らしさときたら,到底後年の録音の及ぶところではありません。とにかく外れのない秀才型のこの連続録音が,その品位の割にあまり巷で評判にならないのは,その高踏的で取っつきにくそうな表情のせいでしょう。ピアノでいえばミケランジェリですか。でも,取っつきにくいのは彼の完璧主義がゆえ。演奏の完成度は同時代の他盤とは比較にならないほど良いのでは。もっと聴かれて良い演奏です。

★★★★
"Images / La Mer / Prélude à l' après-midi d'un faune" (Sony : SK 62599)
Esa-Pekka Salonen (cond) Los Angeles Philharmonic
アメリカに渡り,サンフランシスコ交響楽団と組んで一躍スターダムにのし上がったエサ=ペッカ・サロネンのドビュッシー録音。彼は,本盤に先駆けること三年前の1993年にも,ドビュッシー《夜想曲,選ばれた乙女,聖セバスチャンの殉教》がカップリングされた円盤を出しているんですけど,そこで聴けるサンフランシスコ響の演奏の酷いことと言ったらない。彼の指揮そのものは流動感豊かで艶めかしく,相当に達者だったこともあり,当時同盤を聴いた私は,思わず「ぐワ〜勿体ない・・」とひっくり返ったものでした。それから僅か三年で本盤のグレードまで音質を改善したわけですから,彼が凄いのかトレーナーが凄いのか。もし,くだんの『夜想曲』を聴いて「コイツ大したことねぇな」なんて思っておられる方は,ぜひ一枚。本盤に付き合ってあげてください。斬新という世評の割に,彼の『海』は『牧神』同様,巧みな平衡感覚が持ち味。やや浅めに振幅を取り,流れるようにさらっと舵を切る。斬新に聞こえるのはテンポをいじるからでしょうが,クリヴィヌやデュトワのように派手なアクセントやルバートいじりはしない。そんな弄り方に,やや小手先のお手軽感さがあると申しますか,やや皮相的な面があるのは鼻につきますけど,中庸な姿勢ゆえに嫌味もなく広く薦めやすいのは強みでしょう。オケの性能も良いですし。しかしこの人は真ん中を取るのが上手な指揮者ですね。なるほど,ラトルと並んで《21世紀の巨匠》なんて気の早い特集組まれたわけだな〜・・と,変に納得してしまいます。

★★★★
"Nocturnes / La Mer / Prélude à l'Après-midi d'un Faune / Petite Suite" (EMI : TOCE-3040)
Jean Martinon (cond) Orchestre National de l'O.R.T.F. et Choeurs
仏国立放送管弦楽団を長いこと率いて活躍し,いまや古典的名録音と言って過言ではないドビュッシーの管弦楽作品集を残してもいるジャン・マルティノン。自身も作曲家だった彼は,アンゲルブレシュト,ピエルネら作曲家兼指揮者のお歴々と同様,近現代作曲家の積極的な擁護者となり,意外なところに意外な録音を多く残していった職人気質の指揮者でもありました。どちらかというと実直さの滲む指揮をする彼は,上述のクリヴィヌのように,自らの圧倒的な閃きとカリスマ性で大胆に譜面を読み替える天才肌の指揮はしない代わり,丁寧な推敲に基づいて曲の構造を良く掴み,匂い立つようなドビュッシーの芳香を「再現」していくタイプ。よく聴くと,結構その推敲の跡がちらちら透けて見えてしまい,理知的なあざとさが鼻につくのが難点ですけれど,いわゆる秀才型なので何を振っても大崩れしないのが最大の強み。秀才肌でいて「仏作って魂入れず」的なところも少ないので,何であれ一般に薦めやすいのが美点です。そんな彼のドビュッシー録音中でも,おそらく最上の出来なのが,『海』でしょう。彼とは思えぬほど即興性豊かで伸びやかな弦部が,作為的を帯びることなしに,ふくよかな曲の輪郭を形作っていく第一楽章は,現代の指揮者と比べても遜色ない。数十年を経た楽団の性能がこんにちとは比較にならないほど低く,不揃いな弦部の垢抜けない鳴りっぷりを,頬緩めつつ許容できる方なら,今もって面白く聴いていただけるのでは。『海』の旧録音では,散々酷評しているアンセルメのものも良い。ここで挙げなかった理由は,単純にマルティノン盤のオケのほうがましだったからに過ぎません。

★★★★
"La Mer / Images pour Orchestre / Trois Chansons de Charles d'Orléans / Noël des Enfants qui n'ont plus de Maison" (Testament : SBT 1213)
Désiré-Emile Inghelbrecht (cond) Freda Betty (counteralto) Orchestre National de la Radiodiffusion Française : Chorale Symphonique de la Radiodiffusion Française
テスタメントが出した古典的名演奏の分売ものの一枚(ちなみに6枚組になった全集箱盤もあります)。今時の人は言っても通じない可能性すらあるモノラル音源ですから,ステレオの音に慣れたデジタル世代の皆さんには内容以前に音の面でかなり抵抗があるかも知れません。しかし,指揮に関して言えば,アンゲルブレシュトの曲解釈は極めて理路整然とした構成ですっきりとした見通しがあり,いかにも二十世紀前半の人らしく,折り目正しい佇まいが見事。録音についても,実際問題左右チャンネルから全く同じ音が出てくると言うだけのことで,正直な話,上記のヘタなステレオ録音(マルティノンやアンセルメのことです)よりも良く録れている。何より,モノラルなせいなのか,マルティノンやアンセルメよりオケの性能がいいのが強みです。数多好内容の新録音がある中で,本盤がこれからドビュッシーを聴こうという方のための録音では勿論あるはずもなく,これは一通り色々な演奏を聴いた方が,「ああ,こういう解釈もあるのだ」とか,「かつてはこういう風に解釈演奏するのが美学だったのだ」と目から鱗を落とすためのCDと申せば宜しいのでは。現象としてあらわれた演奏のレベル(経験論的レベル)と,それを生み出す意図や解釈(実在論的レベル)とを切り離して楽しめるようになった方にのみ,この盤は推薦すべき盤です。

★★★★
"Jean Fournet conducts Debussy :
Nocturnes / La Mer / Ibéria" (Supraphon : SU3421-2 011)

Jean Fournet (cond) Czech Philharmonic Orchestra
長いことオランダ室内管弦楽団を率いて活躍したジャン・フルネは,いっぽうでチェコ・フィルにも深く携わり,多くの優れた録音を残しています。ドビュッシーやオネゲルなど近代物の演奏を得意とする点でも,チェコ・フィルに関係していた点でも,フルネはあのセルジュ・ボードと良く似たタイプ。過小評価気味のところまで似ているのは困ったものです。フルネはチェコ管とも懇意で,本盤もこのコンビによる録音。実はセルジュ・ボードにもチェコ管を率いたドビュッシー録音があります。さらに残念なことに,そのボード盤でもせっかくの素晴らしい指揮にミソをつけたのが,チェコ管の珍妙な演奏。管部,特に木管ときたら弱いの一語。東欧圏で貧しかったのでしょうか。ボードの『牧神』に大きくケチを付けたソロ・フルートが,このフルネ盤でも再登場。『雲』を見事にお化け屋敷へと変貌させるその辣腕ビブラートには溜息しか出ません(謎)。悔しいことに,指揮に関して言えばこのフルネ盤,曲の輪郭線を明晰に捉えたかなりの秀盤。『海』の理路整然とした譜読みには感嘆の一語。それだけに余計,レベルの低いオケのせいで足を引っ張られて惜しい限り。これってフルネのせいじゃないですよねえ?可哀相に。ひょっとしてボードとフルネがいまだに一流半扱いなのはチェコ管のせい?と下司の勘繰りをしてしまいますことよ。指揮者を志す方は得るところが多いはずです。ちまたの悪評に惑わされずこういう盤を是非聴いていただきたい。
 (評点は『海』のみに対するものです。)

(2005. 9. 23 upload)




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